可愛い女の子ってどんな人?|Beauty Standards(美の基準)
「可愛い女の子」と聞いてどんな人を想像する?
「可愛い女の子」と聞いたとき、あなたはどんな人を想像するだろう。
痩せている?顔が小さい?色が白い?目が大きい?鼻が高い?
このような特徴を想像した人もいるはず。
このような特徴に一つでも多く当てはまっている人はより”可愛く”て、当てはまっていない人はあまり”可愛くない”と感じたことがある人は少なくないかも。
私自身、自分はもっと痩せるべきで、日焼けをしないように日焼け止めは必ず塗らなければいけないし、自分の大きな目は人に羨ましがられてきたから、目が大きいことは目が大きくないよりも可愛いことだと考えていた。
このように、私たちが「可愛い(美しい)」と思う条件はBeauty Standards(美の基準)と言われており、多くの人は自分がその条件により多く当てはまるべきだと考え、その条件を用いて「あの子は細くて可愛い」「色が白くて綺麗」と他人の外見を評価する。
なぜ私たちは「可愛い女の子」と聞いたときにこのような特徴を想像し、このBeauty Standardsに当てはまりたがるんだろう。
Beauty standards(美の基準)って誰が決めたの?
Beauty Standardsは誰が決めたんだろう。
どうして私たちはそれにこだわってしまうんだろう。
Beauty Standardsを提示し浸透させたプレイヤーは主に二つがあると私は考えている。
それはメディアと、自分の周りの人。
まずメディアの影響について、美容業界をはじめとしたメディアの影響が最も大きいと考えている。
例えば美容業界が「目が大きい人が可愛い」と提示すれば、「目が大きくない人は可愛くない」と大衆に自然と思わせ、目が大きくない人に「自分は目が大きくないから可愛くないんだ」と考えさせることができます。
そうすれば目を大きくする(大きく見せる)ための化粧品や美容医療サービスに繋げることができる。
他にもテレビのバラエティ番組で、太っている芸人の人が体型をいじられ笑いにされているのを見かけたことがある人は多いはず。
このようなシーンを日常的にメディアなどを通して目にすれば、「太っていることは恥ずかしいことだ」「太っているんだから笑われるのは仕方がない」と認識するようになるのはごく自然だ。
このようにメディアを通して日常的にBeauty Standardsに触れることで、Beauty Standardsを自然と内面化していると私は感じる。
次に、自分の周りの人の影響について、メディアを通して内面化したBeauty Standardsは人の価値観として強く根付き、自分だけでなく周りの人にも影響を及ぼしていると思う。
例えば、親に「もっと高い鼻に産んであげられればよかったね」「太るのは簡単だけど、痩せるのは簡単じゃないから食べ過ぎたらだめだよ」と言われると、「自分の高くない鼻は良くないんだ」「太ったらダメなんだ」と子供が考えてしまう。
このように、Beauty Standardsは社会の多くの人に提示され、それぞれが内面化し影響し合うことで浸透し根強い価値観になったと考えている。
みんなが基準を目指せば、みんなおんなじ顔になってしまうんじゃないかな
このBeauty Standardsに当てはまっていることは本当に”美しい”のだろうか。
加工アプリやプリクラで写真を撮った時に「あれみんな顔似てるな」と感じたことはない?
加工アプリやプリクラはBeauty Standardsをそのまま取り入れているので、顔の面積が削られ、目を大きくし、鼻や足を細くする。
みんながBeauty Standardsに当てはまろうと努力するということは、同じ目標をみんなで目指すということ。
それは多くの人が似たり寄ったりの外見になることになるのじゃないのかな。
個性が欠けて、美の多様性が損なわれて、画一化された美だけがあって、似たようなチャームポイントを持ち合わせることになる。
それってすごく退屈だし窮屈かも。
しかも、美の基準をに当てはまることを目指すということは、部分的に今の自分を肯定していないことになる。
「可愛くなりたい」と思うということは悪いことでじゃない。
でも、「今の自分を変える必要がある」という解釈を少なかれ含んでいることを頭の片隅に置いといてもいいのかも。
本当の美しさって?
じゃあ、本当の美しさってどんなもの?
私は自分らしく生きている人を美しいと感じる。
Beauty Standardsに当てはまっているかどうかは関係なくて、今の自分を肯定できて、ありのままの自分を認めることができて、自分らしさを追求できる人が私にとっては美しい。
「美しい」は主観だ。
何を美しいと感じるかは人によって異なる。
だから、「何が美しいのか」「自分は何を美しいと感じるべきか」を自分じゃない誰かに提示されることは自然じゃない。
これまで自分が「美しい」と思っていたものを疑ってみたり、自分が本当はどんなことに「美しい」と感じるのか改めて考えてみるのも面白いのかも。
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