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オールジェンダートイレってどう思う?|ラベリングのことも

久しぶりに利用した成田空港

約一年ぶりに成田空港を利用した。成田空港に着いてから搭乗口の飛行機に乗る寸前まで、いくつものトイレがあったけど、男性用と女性用しかないトイレがほとんんどだった。

私の大学でも全てのフロアにオールジェンダートイレが設けられて、東京のさまざまな場所で性別問わず誰でも使うことのできるトイレを目にすることが増えた。

成田空港では男性用のトイレも女性用のトイレも使いづらいと感じる人が使うことのできるトイレを見つけるのは大変そうだと感じた。

オールジェンダートイレとは:どの性別の人でも利用できるトイレのこと

成田空港はさまざまな人が利用する施設で、比較的新しく改装されたように見えるエリアもありました。だからもう少しオールジェンダートイレがあってもいいんじゃないかな〜〜。

成田空港のオールジェンダートイレを調べてみると、第一ターミナルに試験的に設置されているみたい!

 

たくさんの懸念があるけど…

オールジェンダートイレにさまざまな懸念点が議論されている。例えば、盗撮がありそうだから使いたくない、みたいに、男女が同じトイレを使うことに抵抗がある人も少なくないのも事実。

少し複雑な例だと、オールジェンダートイレを利用するという行動自体がカミングアウト行為に思われるかもしれない、とか。

具体的に説明すると、男性用トイレ、女性用トイレ、オールジェンダートイレが並んでいるところで、男性用トイレや女性用トイレを使用しづらい人がオールジェンダートイレに入れば、自分がLGBTQ +だと周りの人にカミングアウトしているようなものだと考える人もいるみたいな。

正直わたしはオールジェンダートイレも男女共用トイレも使わない。

それでもオールジェンダートイレを設置するべきだと思う

さまざまな懸念があるけど、それでも私はオールジェンダートイレをより多くの施設が取り入れるべきだと思う。

LGBTQ +の人が使うか使わないかはとりあえずおいといて、設置することに意味があると個人的には考えている。

トイレが男性用と女性用しかないのは、性別は男性と女性だけで、それ以外の性別の人はいないことが前提になっているとも言うことができるから。

オールジェンダートイレがあれば、男性用や女性用のトイレを使いづらいと感じる人に選択肢が生まれるだけでなく、自分のアイデンティティの一部を構成する性別が誰かに「あるもの」として認識されることになる。

話を戻すと、成田空港でオールジェンダートイレって意外とないんだなあと私は感じました。

男性用や女性用のトイレを使いづらいと感じる人が、私と同じ経験をした時、もしかしたら「自分の性別は社会的には認められていないんだなあ」「男性でも女性でもないと感じる自分は存在しないことになっているのかなあ」と感じるかも。

自分の存在が社会的に「ないもの」とされているということはきっと悔しいし傷つくことだし悲しい。

それなら、オールジェンダートイレはあるべきだ。

使用する人が少ないとかカミングアウトになるどうこう以前に、男女以外の性別の存在がないものにされていること自体がより問題だから、より包括的な社会になるために必要なことの一つじゃないのかな。

シスジェンダーの特権を忘れたくない

LGBTQ +の話をする時、私は本当は「LGBTQ +」という言葉を使うのはあまり好きじゃない。(わかりやすいのと伝わりやすいから記事では使うけど)

Gender and Sexuality Studiesでも「人の数だけ性別は存在する」と言われているように、最終的には全ての人が性別を理由に不快な思いをしない社会がゴールで、「男性」「女性」とか「マジョリティ」「マイノリティ」と人をラベリングせずに「その人」として接することが理想だ。

でも、今までいないものとされてきた人々を可視化するために、このラベリングは最終的なゴールへの段階として必要だ。

「セクシャル・マイノリティ」や「LGBTQ +」とラベルを貼ることで初めてその人々の存在が明るみになり、社会課題として取り上げられるようになった。

今このラベリングの段階を踏み、それからそのラベルが細分化され、最終的に性別でラベリングすることなく「その人(個人)」として人を見ることができるんじゃないかな、って。

ジェンダーに関しては、私は「マジョリティ」「マイノリティ」とラベリングしたことで初めて自分が持っている「マジョリティ」としての特権に気づくことができた。

トイレを利用するたびにモヤモヤを感じなくて済む、性別選択欄には自分の性別が必ずある、男女別のグループを作るときに何の違和感も持たなくて済む、など自分が当たり前だと認識していたことは「マジョリティ」だけが持つ特権だということに気づきけた。

本来ラベルを貼らない社会であるべきだ。でも、そのような社会への段階としてラベリングは必要なのかも。

ほかにも、「LGBTQ +の人の人権を認める」というような言葉を目にしたことは何度もあるけど、この「認める」というスタンスをとれること自体がマジョリティの特権で、「オールジェンダートイレを作ることを決定できる」ことも「女性」か「男性」に当てはまっている人の特権だと考えている。

シスジェンダーの特権があることを完全に認識することは不可能かもしれないけど、ジェンダーの観点で自分には特権があることを忘れたくない。

6月はプライドマンス。プライドマンスがなくてもお互いを尊重しあえる日が早くきますように。

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